仲代表の「グローバルの窓」

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第33回 “We do not approach to him from here.(こちらからアプローチはしません)

2022.12.13

  悩みに悩んだ末に私はNatelco社をビジネスパートナーに選びました。HIS社のバティアさんは魅力的でしたが、最後の決め手はページャーの市場構造でした。通信機器の市場は、サービスオペレーターが主役です。Natelco社は全国に10社以上のページングオペレーターを置き、社名を変えてページングオペレーターのライセンスを取得していたのです。表向きは別会社ですが、資本はすべてNatelco社から出ています。サービス名を「easy call」で統一して全国展開するビジネスモデルです。いくらバティアさんが人物的に魅力的でも、ページングオペレーターの領域を押さえ、全国展開しているプラカシュ?ジェイン(Natelco社の社長)には対抗が難しいと判断しました。通信サービスは、コンピューター市場のようにハードやソフトが優れていれば売れるという市場ではありませんでした。サービスを提供するオペレーターが主役なのです。今のスマホ市場がドコモ、au、ソフトバンク、楽天が中心なのもそういうことです。但し、アップルはユーザーインターフェースが優れ、使いやすさやアプリの豊富さで独自の地位を獲得しました。これはすごいことです。NECや他の日系メーカーは、残念ながらオペレーターに徹底的に従う「コバンザメ商法」に徹しました。アップルだけは例外です。

 さて、ジェインは、ページャー機器端末メーカーであるNECとパートナーを組むこと、購入価格を交渉で優位に勝ち取ること、各州の傘下のオペレーターの社長を自分で見極めて採用すること。この3点を最重要視してページャービジネスに臨んでいました。細かいサービスオペレーションは傘下の社長に任せるというスタイルです。ジェインには、NECとのページャー機器の価格交渉にこれまで見せていた愛想の良さは見られませんでした。

  価格交渉に当たり、NECのデリー駐在員事務所トップのインド人、コーリーも同席してくれました。駐在員事務所はインフラ系のビジネス中心ですが、商売が低迷していたこともあり、ページャービジネスに期待してくれたのです。交渉はホテルの会議室を借り切って行いました。NECは、コーリー、開発部長、私の三人です。Natelco社はジェイン一人でした。

 それまでジェインとは、お互いパートナーとして一緒にやろうという思いでしたので、どんな話も比較的協力的でしたが、ここにきて価格交渉の段になり、ジェインの表情は真剣になりました。購入価格は事業の生命線ですので、ジェインは我々が提示した価格に簡単にうんとは言いませんでした。私は商品のUSP(Unique Sales Point)をアピールし、インドネシア市場を例にとり、競合のモトローラの価格と十分やっていけることを主張しました。しかし、ジェインはNECはモトローラ程ブランドが浸透していないので、もっと思い切った価格にしないと売れないと言います。数量は最初に一括で5万台購入するからディスカウントして欲しいと言います。沈黙が何度も続く中、コーリーが事態を心配し、休憩をジェインに申し入れました。休憩の際、コーリーは私に「このままでは決裂して、商売が成り立たなくなる。価格をもう少し引けないか」と泣きそうな顔をして言うのです。しかし、私は最初が肝心と思い、妥協しませんでした。

  結局、この日は互いに主張を譲らず、落としどころが見つからないまま終わりました。コーリーは悲痛な面持ちでした。もうダメだと思ったのでしょう。ジェインも我々も同じホテルに泊まっていましたが、翌日は交渉のアポも取らず、私は開発部長に「向こうから申し入れがない限り交渉再開はしません。今日は買い物にでも行きましょう」と言いました。「大丈夫?」と言われましたが、私にはジェインが必ず歩み寄ってくるという確信がありました。その日はデリーの街中へ買い物に出かけました。

  夕方6時頃、ホテルに戻ると受付で小さな紙切れを渡されました。「明日9時にまた会いたい」とジェインからのメッセージです。私は。しめたと思いました。ジェインから妥協の意思表示がなされたからです。こちらから申し入れると、心理的に不利になりますので、私は何としてもジェインから約束を申し込ませたかったのです。実は、ジェインはアメリカで3年ほど商売経験があったのですが、アメリカ企業を快く思っていないという裏情報を掴んでいました。モトローラにはそう簡単にはなびかないだろう、多少無理してでもNECとやりたいと思っているはずと考えました。

?翌日の交渉は出だしから強気に出て、終始有利に進めることができました。最終的に購入数量をさらに増やすことで価格を少し下げ、決着しました。丸三日がかりの価格交渉でしたが、急いだら碌なことはない、ときに時間に委ねることも戦術として使えるという教訓を得ることができました。「インパキ(インドとパキスタンのこと)のページャーを何とかせよ」と事業部長に命ぜられてから半年以上かかりましたが、こうしてNatelcoというビジネスパートナーを獲得することができました。さあ、いよいよインドビジネスへ発進です!


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