仲代表の「グローバルの窓」

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第82回 南洋と日本のグローバル化(3)Thinking about Japan’s globalization(3)

2024.12.16

辻政信 ~エリート軍人の性~

 前回井伏鱒二のことを書きました。井伏はマレー作戦に従軍しましたが、この作戦は、「作戦の神様」と言われた参謀本部の辻政信が立てました。辻は、「身を挺し、生命を懸けて、直接戦場を偵察する他はない」と考え、北部タイ、マレー半島を上空から視察しました。辻の徹底した現場主義と迅速な行動力には瞠目します。実際、マレー作戦は海軍の真珠湾作戦と並ぶ大戦果を挙げ、わずか70日でシンガポールを陥落させました。陸士三十六期首席、陸大四十三期恩賜の軍人エリートの面目躍如たる活躍でした。マレー半島を南下するに当たっては、自転車を使用しました。世にいう「銀輪部隊」です。実際に使用された自転車は今もシンガポールの国立博物館に展示されています。

 辻は、高級参謀でありながら最前線に赴き、友軍を鼓舞する軍人でした。また、負傷した兵士を背負って戻って来たりしたため、部下や同僚からの信頼は厚く、また親近感を持たれていました。出身地の加賀市中山温泉に銅像が建立され、戦後は国会議員に選出されもしました。

 一方、マレー作戦の軍司令官山下奉文は、意見が通らないと「辞めさせてもらいたい」と言う辻に、「我意強く、小才に長じ、注意すべき男なり」と厳しい評価を下していました。また、辻は経費乱用や風紀の乱れには格上であっても怒鳴りつけたりしたため、上官からは嫌われました。シンガポールの華僑虐殺やバターン死の行進などにおいて、職務越権命令とも思える事態を引き起こしたりもし、問題行為の多い軍人でした。

 辻は、日本の近代国家が生んだ軍人エリートですが、独り善がりで手前勝手な欲が強かったようです。竹山道雄の『ビルマの竪琴』では、ビルマの人々は欲がなくて、心が静かだといい、日本の人々の思い上がりや支配欲を諭しています。この小説では、主人公の水島は同胞の白骨を始末して霊を葬るため、僧になり、ビルマに留まることを決意します。一方、辻は敗戦と同時に「国家百年の為」と称して僧に変装し、逃走しました。終戦後も声高に国家を叫んだ辻と南洋の人々の生き方に人間の本来の姿を見た竹山の視点は対照的です。辻の視点は、南洋の人々に目を向けず、南洋を戦場や植民地としか見ない軍人(教育)の哀しさなのかもしれません。戦後の日本企業が世界をビジネスの対象としか見なかった姿勢ともオーバーラップします。このことは、次回、深田祐介の『炎熱商人』を取り上げて論じてみる予定です。

今村均 ~エリート軍人の改心~

 今村均という軍司令官がいました。緒戦でインドネシアを攻略、わずか9日間で戦いを終え、制圧しました。インドネシアでの今村の軍政は寛容であったと言われています。また、ガダルカナルの撤退作戦では、一万人以上の生存者を救出しました。悪名高い「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱を受けず死して罪過の汚名を残すこと勿れ」の文言を作成したのは今村ですが、ガダルカナル島の戦いに直面し、人間本来のあるべき姿に立ち返り、考えを改めました。

 終戦後、今村はオーストラリアで禁固十年の刑を受け、自ら希望して兵士用の施設で服役しました。また、オランダ側の裁判では、スカルノ(初代大統領)らインドネシアの人々の後押しのお蔭で無罪になりました。のちに十年の禁固刑の残りを巣鴨プリズンで服役せよ、との命が下りましたが、マヌス島へ戻り、部下とともに服役することをGHQに嘆願しました。そのことがマッカーサーを感動させ、「日本にはまだ真の武士道が生きている」と言わしめました。

 刑期満了後、今村は自宅の庭に三畳一間の小屋を建て、蟄居生活の日常を過ごし、生涯を終えました。『今村均回顧録』には、「いかにして軍?師団を運営し、敵に勝つかの統帥研究を第一義としたことが陸大教育の誤りだった」と記されています。死ぬまで罪を背負って生きると覚悟した今村の忸怩たる思いの表白なのだろうと思います。

価値観の尊重

 日本の近代化の先頭を走り、その象徴でもあったのが辻政信や今村均など陸軍の恩賜組のエリートです。しかし、終戦後は、東條英機や山下奉文のように処刑された軍人、阿南惟幾(最後の陸軍大臣)のように自決した軍人、辻のように生き延びて国会議員になった軍人などさまざまな生き方がありました。しかし、今村のように生涯罪を背負って生き続けた軍人は珍しいのではないでしょうか。保坂正康は『陸軍良識派の研究』に、「国家と個人、生と死の折衷点を見出そうとする苦悩」を軍人は背負っていたと書いています。今村はそのことに最も苦悩した軍人だったのかもしれません。

 人間は、畢竟、失敗のあとどう生きるかに真価が問われます。そう考えると、戦前の日本(大日本帝国)の集大成を東條や辻ではなく、今村に置くことで救いと希望が見えてくるように思います。また、グローバリゼーションの正負のヒントがこうした軍人の生き方にも隠れているように感じます。現地をビジネスとしての市場とだけ捉えるのではなく、そこで活動する現地の人々にも思いを寄せる姿勢が必要なのだろうと思います。スカルノが今村を救ったのは、何よりも今村の軍政における姿勢にスカルノが敬服していたからに他なりません。お互いの考えや価値観をリスペクト(尊重)することがその根本だとつくづく思います。

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