プリンタービジネスはディーラー経由のチャネルビジネスだったので、広告宣伝やプロモーションが重要でした。テニスのデビスカップや小澤征爾氏のサイトーキネンオーケストラといった本社側でスポンサーしていたイベントはドイツでも最大限活用しました。当時のドイツのテニスはボリス?ベッカーというスター選手がいたので大いに盛り上がりました。ミュンヘンの体育館で夜の9時から始まったアンドレ?アガシとの熱戦は今も忘れません。0時になっても決着がつかず、翌日に持ち越しとなりました。シーメンスなどの大手顧客やプリンターのディーラーなど多数のお客様を招待し、試合観戦しながらラウンジでもてなしました。サイト―キネンオーケストラでは、ミュンヘン郊外のダッハオという町でNECドイツ社員の家族限定のコンサートを開催し、従業員のモチベーションを図りました。夕日のまぶしい中、小澤征爾氏他桐朋音大のOBのみなさんが熱心にリハーサルに取り組む光景は今も眼に焼き付いています。
宣伝、プロモーションでは、ありとあらゆる施策を打ちました。ディーラーとの共同広告、空港のショーケース、ビルボード、市電を貸し切ってのプレスレセプションなど。年一回開催するディラーコンベンションは、二千人以上を招待しての大イベントでした。夫婦を週末に招待するのです。ヨーロッパでは、夫婦単位のイベント参加は当たり前でした。30分ほどプレゼンテーションをしたあとは、食事をはさんでのエンターテイメント。最後はみな舞台に上がってのダンスでフィナーレ。いつも大いに盛り上がり、受注獲得の最大のイベントとなりました。
我々は、西ドイツを8つの地域に分け、それぞれに地域ディストリビューターを選定しました。8社の地域ディストリビューターーはディーラーに販売し、ディーラーがエンドユーザー(企業中心)に売るという商流です。一方、地域ディストリビューター任せにせず、HIS(Haendler Information System)という情報システムを構築し、価格、新商品、プロモーション等の情報は、我々から直接ディーラーに流しました(今ならインターネットで簡単に情報を流せますが、当時はダイレクトメールや電話が主体で、結構費用がかかりました)。それによりディーラーとの関係を維持?構築し、市場動向を直接把握するとともに地域ディストリビューターが勝手なプロモーションや値付けをしないようコントロールしたのです。
しかし、プロモーションで私自身度肝を抜かれた出来事がありました。残業していて、夜の10時ごろプリンター部隊のフロアーに行くと、「ギーギー」と変な音がするのです。フロアーは暗く、不気味でちょっとした恐怖でした。音のする暗い部屋をこわごわ覗くとなんど30台ほどのドットプリンターがひたすらプリントアウトしているではありませんか。その光景はほんとに異様でした。翌朝、営業部長のヴァイトに尋ねると、「カラーのプリントアウトサンプルを出力している。多分一か月くらいかかるだろう」と言います。「なんでそんなことするの?」と聞くと、「ユーザーが欲しいのはプリンターではなく、プリンターが出すプリントアウトなんだ。ユーザーにはあなたが欲しいのはこのような美しくクリアなプリントアウトだろ、と言って売り込むんだ」と。プリンターというハードウエア商品ではなく、プリントアウトという価値を売り込むというのです。30日間、30台のプリンターでひたすら出力し、それをプリントアウト集として全国千社近くのディーラーに提供するのです。そのプリントアウトサンプルはすべてNECのプリンターから打ち出したものです。商品ではなく価値を売り込むという発想、そして、その価値を30日間かけて創り出す手の込んだやり方に私は脱帽しました。トップシェアに躍り出て、利益も大きくなっていましたが、それに胡坐をかくことなく、常に新たなアイデアを考え、売ることを考え続ける営業部隊。ヴァイトはのちに現地社員の代表の一人としてアニュアルレポートのインタービューに応じ、”NEC is my life.”と発言しました。