イタリア会社の経理マネジャーはカデイさんという年輩の女性でした。独身でしたが、気品のある方で、北イタリアのベローナの近くに別荘を持っていました。カデイさんは私の家族4人(私と妻と2歳と0歳の息子)を別荘に招いてくれました。穏やかな日曜日で、サンルームがあり、家具も厳かで、至福の時間を過ごしました。きっとカデイさんの家系は貴族だったのだろうと思いました。ヨーロッパの貴族社会のほんの一部を垣間見た気分でした。
そんなカデイさんがあるとき「大事な話がある」と悲壮な顔をして私の席に来ました。別室に入って話を聞くと、「どうもNo.2のGM(ジェネラルマネジャー)が広告代理店と結託して便宜を得ている」と言うのです。カデイさんや私を含めマネジャーは5人いて、みな「report to GM」で、GMの上に社長(日本人)がいるという組織でした。
GMはもともとドイツの支店だったイタリア拠点を独立法人にしたいと希望し、ディスクドライブ事業のみで100億円近いビジネスを成し遂げ、独立法人にすることを認められた実力者でした。独立法人としてスタートするタイミングでドイツから私が出向することになりました。当初は日本人の社長がいなかったので、GMと私が中心となり、組織を固めていきました。私がドイツにいたときからGMとは一緒にディスクドライブの事業をやってきましたので、彼とは気心も知れていました。クリスマスには私の息子にプレゼントをくれましたし、私もGMの家族を家に招待するなどお互い信頼し合っていました。
その彼が不正を働いているとは正直信じられず、カデイさんに「証拠はあるの?」と聞きました。カデイさんは「確実な証拠はないが、広告代理店からの請求額が高すぎる。キックバックがGMに落ちているからだ」と言います。妻が二人目の赤ちゃんを身ごもっていたけれど、妻から「あなたがイタリアに行きたいならいいよ」との言葉があったので、私はイタリア行きを決断しました。その裏には、GMの心意気に共感し、一緒にイタリアのビジネスを大きくしたいという思いがありました。それだけにとても信じられず、確実な証拠を掴むまでは半信半疑でした。カデイさんは考え過ぎではないかとも思っていたのです。
その後、他のマネジャーから「GMがベンツに乗っているところを見た」という情報も入りました。また、私はカデイさんから広告代理店とのやり取りをよく注意して見るようにと言われていましたので、会議のときのGMの言動を注視するようになりました。すると、たしかに広告代理店をかばうような発言が多いことに気づきました。私が「この費用は高すぎる」と言っても、GMは広告代理店をサポートする発言をします。「もう少し別のアイデアを検討して持ってきてくれ」と言っても、GMは「このアイデアで十分効果が期待できると思う。私が責任持つからこれでやろう」と言います。広告代理店寄りの言動が多いことに気づいた私は、さすがにこれはおかしいと思うようになりました。
GMの広告代理店への姿勢はその後も変わりませんでした。私は、会議の席でGMがまたも広告代理店をかばう発言をしたので、「GMの発言はイタリア会社の立場とは思えない。広告代理店側に立っているのではないか」とみんなの面前で糾弾するように言いました。さすがにGMもまずいと思ったのでしょう。広告会社に費用の見直しを行い再提案するよう不承不承要請しました。
GMは頭がいいので、なかなか尻尾を出しません。こちらも不正の証拠を押さえないことには手の打ちようがなく、失望と会社の先行きを憂えたカデイさんはとうとう退職することになりました。GMにもクレームを入れたようですが、直属の上司ですので「従わないなら辞めさせる」くらいの脅しもあったのだと思います。また、食い止められず、経理マネジャーとしての責任も感じているようでした。私は、「証拠を掴んで一緒に戦いましょうよ」とカデイさんに懇願しましたが、カデイさんの決心は固く、「GMは広告代理店と一蓮托生なので、イタリア会社のために必ず辞めさせてください」と言い残して去っていきました。カデイさんの退社は無念でしたが、遺言を託されたような気持になりました。これまで以上にGMへの怒りがこみ上げてくるのでした。
カデイさんが別荘で私の家族を迎え入れてくれたあの穏やかな日曜日を大切にするためにも私は何が何でも証拠をつかんでGMを辞めさせることを決意しました。カデイさんが去ったあと、私は社長にGMの不正は間違いない旨話をしました。(27回へ続く)