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多様性の時代だからこそ考え直したい中庸の必要性

ポルトガル語専攻を2014年に卒業した平塚竜一です。2022年の2月で十の位が3になりました。在外公館派遣員を経た後、一般的なサラリーマンの道を選ばず、戦火に身を置く仕事を選ぶことが多かったため、いつのまにか異端児のようなキャリアになってしまいました。

本ブログを書くきっかけとなったのも、私の数少ない友人知人のなかで、最も異端児扱いをしてくる同窓会のY氏(昔は自称向井理とのことでしたが今もでしょうか?)よりご指名があったので、喜々満面(察してください)一記事書かせて頂きます。

働くうえで意識していること

今回私がテーマとして書くのは「中庸」についてです。中庸とは儒教を起源として「極端に偏らず、また過不足なく調和がとれていること」を意味します。欧米でも古代ギリシャの哲学者アリストテレスが説いた徳論「メソーテス」や、現代でいう「Golden Mean」がそれに相当します。

具体的にいうと、勇気が過ぎれば無謀ととられ、足りなければ臆病に、親切が過ぎればお節介になるし、足りなければ無関心といった偏りを持たず何事も過不足のない状態が徳であるという教えです。

これは平均を意味しているわけではありません。一般的に学力は高ければ高いほど良く、社会人であれば、平凡な営業成績よりもズバ抜けた業績がより評価されるわけですが、中庸とは行為の帰結として優れた成果を生み出すために、‘今’すべきこと?あるべき姿勢を教えているのです。

例えば、「一流の国立大学に入る」という成果を生み出すためには、英語だけに偏らず全教科を網羅しなければいけませんし、営業であれば業績を達成し、トップになるためには自社商品に関するインプットに始まり資料作成、対人構築やプレゼンスキル、商談等の交渉といった能力をバランスよく身に付ける必要がありますよね。

一度素晴らしい成果をあげたらそれで終わりでしょうか。人生における一つの成功体験に過ぎないと思うのです。ここでひとつ事例を挙げたいと思います。国境なき医師団時代のことです。私の同僚にハーバード大学を卒業したアメリカ人女性がいました。MBA資格をもつ彼女は既往プロジェクトの質を担保しつつ、係る経費を20%削減し、浮いた分で新規プロジェクトの立ち上げを成功させた大変優秀な方でした。

ところが、約3か月で経費は元通りになり、新規プロジェクトも壊滅状態となってしまったのです。なぜだと思いますか?彼女は論理的思考能力は優れていたものの、関係者の感情や目線に立った意思疎通を軽視して論破するあまり、結果として誰も彼女についていかなかったのです。

プロジェクトを遂行してくためには「人」という投入が必要になりますが、その「人」という存在は感情で動く生き物です。左脳と右脳、つまり論理的思考と感情的思考のバランス=中庸が取れていなければ、成果を挙げてもそれを維持又は拡大することは困難だと言えます。この経験は一つの教訓となりました。

全体俯瞰をするとき「私と相手の真ん中」を意識する

現在、JICAアンゴラ事務所で企画調査員というポストに就いています。ここでの仕事は、ODAプロジェクトの事業枠組みを作るために、相手国政府の開発課題を特定するとともに、日本政府の外交政策や開発政策に合致するよう双方のニーズを擦り合わせて案件形成を促す仕事です。

アンゴラの意向を最大限に取り入れつつ、日本の国益に繋がるよう調整し立ち回る上で、中庸は一方に傾倒しかけた姿勢を再び正常な位置、つまり中立の立場に戻すためのアンカリングとして機能しています。

アンゴラの景色

「私と相手」という立ち位置ではなく「私と相手の真ん中」という意識が、その時々に応じて、どちらの立場に立ってコミュニケーションを取るべきかを俯瞰的に考える一助となります。日本人はしばしば主張が弱いと言われますが、相手側に傾倒し過ぎているからではないかというのが持論です。

一般的な考えとして、コミュニケーションを取る目的は、自己利益の最大化ではないでしょうか。自分勝手な自己主張のことを言っているのではなく、傾聴しながら意見を述べお互いにプラスになるように持っていくことを指します。そのような時にこそ中庸は自身の立ち位置を教えてくれるのです。

キャリアをどのように形成し生き抜くか?

そしてもう一つは永久就活のキャリアをどう生き抜いていくかという点において、中庸はヒントになりうるものを与えてくれます。国際開発や人道の仕事に憧れる人は一定数いるかもしれませんが、2?3年ごとに自らポストを獲得する=永久就活と向き合わなければいけないということは理解しておく必要があります。

ではポスト獲得競争で生き残っていくためにはどうすればいいのでしょうか。それは「専門性を身に付けること」ではありません。「ジェネラルスペシャリスト」を目指すことだと考えています。ざっくり言うと「一つに秀でるよりも、満遍なくとりあえず出来る」タイプになることです。

注意しなければいけないのは、なにも人格?IT?法学?言語の全部が100%!ということを言っているのではありません。例えば前述の国境なき医師団で起きたプロジェクトの失敗談のように、プロジェクトマネジメントといった専門性を持っているから自分は優位であると過信するのではなく、対人スキル、異文化理解、チームワークなど様々なコンピテンシーをバランスよく有する人材が望ましということです。

アンゴラ地方部の景色

なんとなく中庸との繋がりが見える気がしませんか。もし今KUISで勉強している身であるならば、語学という専門性のみならず法学?政治?経済など様々な分野にアンテナを張りつつ、もちろん遊びやサークル、部活を通じて色々な人々と交流することが、ジェネラルスペシャリストへの近道でしょうし、すでに卒業している方であれば(私もここに当てはまりますが)、苦手ことや嫌な仕事を敢えてやってみると、良くも悪くも意外と学びがあり、ある程度続けることで少なくとも人並みになったりするものです。

このように軸を一本化するのではなく、多様化させていくことが永久就活のみならず、キャリア形成に大きく寄与するものなのかもしれません。

人ひとりの力には限界があります。開発や人道を目指すにしても、何か目的を達成するにしても、目標は大きければ大きいほど周りの協力や環境への適応が不可欠です。

そのときに大切なことは、自身の軸を大事にしつつも、譲れるところは譲り、妥協を許すことものちに大きく響くことがあるのです。大局的な見方をして、追及と妥協のバランスをうまくとりながらうまくやる進めることが、まさしく中庸なのではないでしょうか。

 

2014年卒業
ポルトガル語専攻
平塚 竜一