STUDY ABROAD
2023/07/05
スタディ?ツアー最終日は自由行動日でした。それぞれ、グループごとで街をめぐり、充実した一日となったようです。明日、日本帰国となりますが多くの参加者がリトアニアを気に入ったようでもう一度帰ってきたいと言っていました。
ウジュピス共和国(ヴィリニュス内にある未承認国家)を訪れました。街の至る所に個性豊かなアート作品が見られ、道を歩いているだけでも楽しめる場所でした。橋にたくさん南京錠がかけてあったり、ボートを使った装飾などもあり、可愛らしい街並みでした。ヴィリニュスの中で、また少し雰囲気の違う景色を見ることができました。独自の文化が尊重され、守られているんだなと感じました。Free dayをゆったり気楽に過ごせました。日本ではあまり見ることのできない、芸術に囲まれた街並みを見て回ることができ、貴重な経験をすることができて良かったです。とても充実した1日になりました。
日本ではあまり見ることがない光景が見られました。多くのリトアニアの人々が旗を持ちウクライナを支持する声かけや歌が街に溢れていました。街には、ウクライナの旗を壁に飾っているお家がたくさんありました。リトアニアは昔、ロシアに支配されていたことがあり、ロシアに対するリトアニアの強い国民意識が今も残っていると考えられます。しかし、中にはこのようなウクライナを支持する運動や小さな集会を催すことはあまり意味がないと考える人もいます。ここに集う人々は年齢の若い者が少ないようにみえました。道を歩いていると、ウクライナのために募金活動をしている人がいました。しかし多くの人がその場で募金しないのは、そのお金が本当にウクライナ援助に関わるのか、支援のために使われるのかが不明だからです。果たして私たちにできることは何でしょうか。
今日はリトアニアに来て初めてちゃんとした日本食レストランで日本食を食べました。一番感動したのは、日本のお茶を飲めたことです。リトアニアではレストランにもスーパーやコンビニにも日本のお茶がなく、とても恋しかったので、今日久しぶりに飲むことができて嬉しかったです。店内には日本人の店員の方も数人いて、現地の店員の方も日本語をとても上手に話されていたのでとても新鮮な雰囲気でした。澳门葡京赌城_澳门网投平台-【在线*游戏】は丼ものが多く、本格的で美味しかったです。リトアニアでお米が食べれてよかったです。
学習テーマ【1.大聖堂 2.リトアニア王宮博物館 3.在リトアニア日本大使館】
スタディ?ツアー9日目は、午前中、カテドゥロス広場に建つ大聖堂内部を見学し、その後、王宮博物館で王宮の増改築の歴史をパネルや出土品から学びました。博物館の5階からは美しいヴィリニュスの街を眺めることができました。午後は3名の代表者が在リトアニア大使館を訪れ、尾崎哲大使とお会いしました。1時間の訪問でしたが、学生の沢山の質問に丁寧に回答していただきました。
(人々の拠り所とされている大聖堂)
今日は、まず大聖堂を訪れました。真ん中にあるのはリトアニアの守護聖人、聖カジミエル様の絵です。その絵をよく見ると、右手が2つあることが分かります。理由は、最初に右手を書き、書き直して1本目を消したのにもかかわらず次の日起きたら、書き直した手と、昨日消したはずの手が浮かび上がってきたからだそうです。この絵を見た時、なぜ3つ手があるのかと不思議に思いましたが、日本では聞き得ないような奇跡のような話を聞けました。また、大聖堂に入った瞬間に繊細な彫刻と、中心のイエス?マリア像の美しさに息を飲みました。災害をのりこえ修復され、現在までリトアニアの人々の拠り所となっている大聖堂だと知り、感動しました。今もなお人々のにもかかわらずらぎを与える大聖堂を訪れる貴重な経験をすることができて良かったです!
(博物館で出土した遺跡の説明を受ける)
リトアニアの大公宮を訪れました!大公宮はかつてのリトアニアの歴史的な遺跡が当時のまま残されている博物館です。
これまでリトアニアの歴史について講義やプレゼンを重ね、理解を深めた上で、遺跡を訪れたため感動が倍増しました。実際に遺跡を訪れ、リトアニアの人々が大切に今まで紡いできた歴史を自分の肌で感じることが出来ました。歴史の上に生きている私達が、これから世界の問題に向き合っていくうえで、今回このミュージアムを訪れることができたことは、今後の人生において貴重な財産にすることができました!残り一日もリトアニアを存分に楽しもうと思います。
(大使館内部は撮影不可でしたので外で撮影しています)
在リトアニア日本大使館に笠 さくらさん、中里 啓人さん、五味 佳那子さんが訪問し、尾崎哲大使と面談しました。3人の面談の感想を一言ずつ紹介します。
「大使にリトアニアと日本のジェンダーについて質問をした際に丁寧に答えてくださり、貴重なご意見が聞けて良かったです。(中里)」
「尾崎大使は、私たち3人の質問に真摯に応えてくださり、短い時間でしたが、非常に楽しく、有意義なひとときを過ごさせていただきました。大使とお話をしている空間が、まるで日本にいるかのように温かい場所でした。(五味)」
「久しぶりに日本のお茶が飲めて感動しました。大使とは特にリトアニアと日本の違いやこれからどう他国と関わっていくかについて話しました。(笠)」
学習テーマ【1.ヴィリニュス旧市街散策 2.KGB(ソ連秘密謀報機関)博物館訪問 3.KGB地下収容所】
スタディ?ツアー8日目は、ヴィリニュスの旧市街を2時間程散策し、様々な歴史的建造物について学びました。午後はKGB博物館を訪れ、リトアニアの自由と人権が抑圧されたソ連時代を、実際に使用されていた訊問室や懲罰室をまわりながら学びました。ガイドの解説に全員、真剣に耳を傾けていました。見学後は、博物館に置かれているノートに研修参加者が平和を願うメッセージを書く姿も見られました。
(ナポレオンが訪れた場所 大統領官邸)
スタディーツアー8日目の午前中にヴィリニュス旧市街地を訪問し、様々な建造物を見学しました。その中には興味深いものが多くあり、ユダヤ人迫害時代にユダヤ人の居住地区、「ゲットー」の建物として使われていた建造物が存在しました。中には、ナポレオンがリトアニアに訪れた際に使用された建造物がありました(写真の大統領官邸)。現在は建物の前に4つの旗が立っており、左から順にEUの旗、リトアニアの国旗、ヴィリニュスの旗、そしてNATOの旗が掲げられていました。第二次世界大戦後は赤色はナチスを連想させてしまうため禁止されていましたが、しばらくしてから掲げるのが許されたそうです。ちなみにリトアニアの国旗は下から赤、緑、黄色ですが赤は自由を勝ち取るため犠牲になった人たちの血の色を表しています。旧市街地には歴史的建造物だけでなくティーカップが埋め込まれている壁で建てられた元お茶屋さんの建物などもありました。
(KGB博物館の入り口)
お昼休憩を挟んだ後に午後は旧市街を離れてソ連時代にKGBが置かれていた博物館を訪れました。1階と2階には年代ごとに当時の装備、書類などが展示されていました。中にはソ連時代に使われていた銃や電子機材といった貴重な物が展示しており諜報活動をしていた様子がうかがえました。この博物館ではソ連統治下において、反ソ連運動を行ったリトアニア人が強制収容や処刑された歴史についても多く学ぶことができます。そしてそれらの恐ろしい行為が行われた場所がまさにこのKGBが置かれた建物の地下の各部屋で知ることができます。収容所の中やそこで起こった悲劇などについては次のパートで紹介致します。
(収容所内の部屋の様子)
さていよいよ博物館の地下にやってきました。ここでは当時使われていた牢屋や拷問部屋、訊問部屋などの部屋が多く存在し、収容者がどれほど劣悪な環境で過ごしていたか感じ取れました。中には食事を出し入れする扉を開けると鏡によって牢屋側に自分自身がいるように見えるようになっている部屋もありました。これは当時のソ連体制下では誰でも収容対象になりうるという事を暗示されているということで、興味深かったです。さらに奥に進むと、処刑所にたどり着きました。ここでは1000人以上の収容者たちが処刑されたと言われています。当日の状況を再現したVTR(映画の一幕)を見ることができ、有無も言わさず後ろから次々と銃殺され、遺体は小さな窓から外へと運ばれ、ビリニュス郊外の集団墓地へ埋葬されていたとのことでした。街並みが綺麗で伝統あるリトアニアとは裏腹に昔の悲しい歴史を知れたことはとても貴重な経験となりました。
学習テーマ【1.十字架の丘 2.リトアニア伝統料理 3.Vilnius到着】
スタディ?ツアー7日目はカウナスに別れを告げ、リトアニアの首都であるヴィリニュスに向かいました。ヴィリニュスに向かう途中、リトアニアの象徴的な聖地である「十字架の丘」を見学しました。近くの売店で十字架を買い、実際に丘に立ててきた学生も多くいました。
(世界の十字架が集う場所~Hill of Crosses~ )
この日、私たちはホテルからバスで数時間かけて、十字架の丘と言われているリトアニアの北西部に訪れました。この丘は、17世紀から18世紀にかけて建てられ、人々の願いの場所とされ、世界遺産とされています。約5万本の十字架が建てられており、お土産屋さんでは、多種多様な十字架やイエス?キリストに関するグッズが売られており、そこで十字架を買って自分で丘に刺す事もできました。個性豊かな十字架がとても多く飾られていて、中には、ウクライナの国旗の色に塗られた十字架があったり、それぞれの国の伝統的な風貌が十字架によって表されていて、とても魅力的な場所でした。
(じゃがいもがメイン!?ピンクスープ シャルティバルシチュイ)
この日の昼食は、リトアニアの伝統料理でした。このスープのピンク色は、ビーツが正体で、冷たく、じゃがいもと食べるのが一般的だそうです。初めて見た時は衝撃的でしたが、食べてみると独特な味がして、美味しかったです。野菜の食感が楽しく、卵も入っていて、貴重な食事ができたと思います。食事後は、レストランの裏手にある公園のような場所でみんなで楽しく、シーソーやブランコ、現地の人とバスケットボールなどをしながら楽しく遊びました。緑が広がっていて、みんな無邪気に遊び、素敵な思い出になりました。
(ヴィリニュスの路地にて)
スタディツアー7日目、私たちリトアニア研修班はカウナスから首都?ビリニュスに移りました。国内最大の都市なだけあって人通り車通りはカウナスに比べ格段に多く、商業施設も非常に充実しています。滞在するホテルから見えるショッピングモールは様々なショップやカフェが併設されていますが、外観は至ってレトロなヨーロッパ建築です。日本の都市部といえば高層ビルが連なる景観が想像に容易いですが、リトアニアはその反対といえます。赤煉瓦が用いられた美しい建造物が並び、花々と音楽が溢れる華やかな街です。残すところ研修期間も半分を切りましたが、新たな地での学びに心弾ませています。
学習テーマ【1.日本とリトアニアの関係 2.パジャイスリス修道院 3.橋クラブとの交流】
スタディ?ツアー6日目はカウナス最後の日。午前、講義で「日本-リトアニア関係」について学びました。講義後も教員に積極的な質問をする姿がとても印象的でした。午後はカウナス市役所、18世紀のバロック様式の修道院、パジャイスリス修道院を訪れました。その後、多くの学生が楽しみにしていた橋クラブ(ヴィータウタス?マグヌス大学の日本サークル)の方々と交流を持ちました。同世代のリトアニア人との交流は多くの学生の思い出になったことと思います。
(初めてリトアニア、カウナスを訪れた日本人)
今回のスタディツアーで度々同行し、リトアニアの魅力を伝えてくれているSimona Kumpeさんによるカウナスで最後の講義を聞きました。タイトルは日本とリトアニアの関係。リトアニアと日本の交流は19世紀、江戸時代末期に始まりました。初めてリトアニアに来た日本人は福沢諭吉です。彼は1862年9月、ロシアからプロイセンへ電車で移動した際にカウナス駅に立ち寄ったといいます。カウナスを歩き回った様子を日記に書き記したもののリトアニアについては言及されていません。日露戦争後、多くのリトアニア人が日本に興味を持つようになりました。福沢諭吉の他、福島安正、杉原千畝、安倍晋三などの多くの日本人がリトアニアを訪れました。 一方で、東京オリンピックや、政治的行事、ジャーナリスト、芸術や音楽フェスティバルなどの理由で多くのリトアニア人が日本を訪れるようになりました。リトアニアでは、JapanDayで日本の七夕踊りを踊ったり、日本語を勉強したり、日本でもリトアニア語の翻訳書や、リトアニア語を学ぶ場や、リトアニアとの姉妹都市がいくつかあるように、長い間日本とリトアニアの交流は続いています。
(祈りそして奇跡を起こす絵)
17世紀のリトアニアのバロック様式の”ダイヤモンド”とも呼ばれているパジャイスリス修道院。修道院の中は、とても美しく、たくさんの装飾品が飾られていました。その中でも、絵画が特に興味深かかったです。そのうちの1枚の絵にいる人物について話していこうと思います。その人はとても力のある特別な方で、さらに強いものを求め、神様にどうやったら、さらに強いものを手に入れられるか、聞いたところ、神は、”良い行いをしなさい”と言ったのだといいます。その後、河岸で、川を渡れるように、人を運んでいました。そして、ある日、小さな子供を持ち上げ、河岸を渡ろうとしたら、その子はとても重く、世界を持っているかのようだったのだと言いました。ギリギリのとこで、担ぎながら河岸を渡った後、その人は、子供に”なんでそんな小さな体をして重いんだ”と聞いたとこ、実はその子は後の神様になる”イエスキリスト”だったのだと言います。このように、一つ一つの絵画にストーリーがあって非常に面白かったです。装飾品もとても美しく、一つ一つにとても品がありました。
(ネムナス島での橋クラブメンバーとの交流の様子)
橋クラブの方は夏休み中にも関わらず、5人も集まってくださって、みなさん大学は卒業されて今は働いているそうです。自己紹介をしてみんなで伝言ゲームやジェスチャーゲームをしました。日本から持ってきたお菓子やリトアニアの美味しいスナックを食べました。日本に興味を持った理由や、日本の好きなところなど英語と日本語を織り交ぜながら、たくさん会話することができました。リトアニア研修の初日からお世話になっているアルヴィダスさんは、橋クラブの会員証を持っているそうで、これは新しいメンバーは持っていないそうです。
学習テーマ【1.リトアニアのユダヤ人の歴史 2.第9要塞博物館 3.モニュメント】
スタディ?ツアー5日目は、ヴィータウタス?マグヌス大学で「リトアニアのユダヤ人の歴史」についての講義を受け、午後は第9要塞博物館を訪れました。19世紀にロシア帝国によって造られた要塞は、1920年代にはカウナス市の刑務所として、第2次世界大戦時にはナチスの強制収容所として用途を変えながら負の遺産として存在し続けてきました。ガイドが話す悲しい歴史に参加学生全員、熱心に耳を傾けていました。
ユダヤと聞くと、ナチスの大量虐殺のみを考える人も多いですが、授業では今まで知らなかったユダヤ教の教えや文化、歴史について学びました。豚、カンガルー、うさぎなどは、ユダヤ人が食べてはいけない食べ物。トーラーとはユダヤ教聖書による最初の「モーセ五書」のことでユダヤ教全体の教えを指す場合もあります。スマホなどで簡単に調べて見ることができるので是非皆さん調べて見てみてください。17世紀には、ユダヤ人の職業は金貸しや工芸品を作る人など特定のものでした。独自の文化を持つユダヤの人々がナチスの大虐殺までどのようにリトアニアで暮らしていたのかも学ぶことができました。
第1次世界大戦から第2次世界大戦へ戦車の造りが時代を経てより強化されているのを見て、戦争の激しさが増していることを感じました。子供の犠牲者も多かったそうです。硬いマットレスで寝させられたり、罰を犯すと3日以上暗い部屋に閉じ込められるなど、拘束された人々がどれほど過酷な環境で過ごしていたかということを痛いほど感じました。実際に人々が使っていた物の展示品を見るたびに、本当にここで虐殺が起きたという現実を思い知りました。
このモニュメントは高さ34mもあり、1984年に建てられました。
左から順番に、hope(希望)、 victory(勝利)、 pain(苦しみ) を表しているといいます。 これには、ソ連のマークはついていませんが、ソ連を批判するようなモニュメントは決して許されなかったので、ソ連は素晴らしいと示唆されているように作られていると聞きました。 アウシュビッツ、広島の原爆ドームと並ぶ負の世界遺産と呼ばれているそうです。
学習テーマ【1.リトアニア民族の生活 2.リトアニアの人々の食事 3.リトアニアでの斬新な日本食 寿司】
スタディー?ツアー4日目はヴィータウタス?マグヌス大学で「異文化コミュニケーション」についての講義を受け、午後はルムシスケス野外博物館を訪れました。博物館では18世紀から20世紀初頭にリトアニアの各地域で見られた生活様式について学びました。
彼らの家の構造は、全て木でできていて、扉や天井が低く全体的に小さいイメージを持ちます。リトアニアは気候が比較的涼しいので、部屋の暖かさを逃さないようにそのようなこじんまりとした構造になっているそうです。また、ドアをくぐる時必ず右足から入る決まりがあります。家の中には、食べ物を保存する冷蔵庫のような箱がありました。もちろんこれも木でできています。昔の人々の知恵と工夫がみられて、本当に生活していたのだと想像できました。
民族の生活を学んだ後は食事をいただきました。リトアニアには5つの地域があります。今回、経験した食事はゲストをもてなす際のごちそうで、この5つの地域の様々な料理がテーブルに並んでいました。リトアニアでは主食であるジャガイモを多くの調味料と共に食べます。私たちはカナビス(麻の実)、サワークリーム マッシュルームのおひたしとともにジャガイモをいただきました。この他にも、ルギネドゥオナと呼ばれるライ麦の黒パンや、パイ、リトアニア独自のチーズといったリトアニアの伝統的な料理を体験したことで、リトアニアをより身近に感じることができました。異文化に触れ、普段はできない体験ができたのでとても充実した時間になりました。
リトアニアの街はいろんな素敵なお店がありますが、中でも日本人として目を引いたのは、リトアニア人が出しているお寿司のお店でした。やはりでてきたのはカリフォルニアロールでした。味はともかく具が新鮮でした。クリームチーズやアボカドが乗っていて思っていたよりも甘かったです。また、コンビニやスーパーに行くと飲み物は炭酸が多く、(実は私、炭酸が飲めなくてつらかったのですが)ここで初めてお茶が飲めて感動しました。リトアニアに来たら、試してみてはいかがでしょうか。
スタディ?ツアー3日目はヴィータウタス?マグヌス大学でのリトアニア史についての講義を受け、午後は国立チュルリョーニス美術館を訪れました。
学芸員の興味深い解説を聞きながら、リトアニアを代表する画家、チュルリョーニスの作品の理解を深めました。今回のメルマガでは、スタディ?ツアー(リトアニア)参加学生がチュルリョーニスの作品を鑑賞し感じたことを中心に取り上げます。
(Sonata of the Sea)
兄に送った絵とされる絵ですが、この絵には彼が孤独に一人もがき苦しむ彼の悲しさが表現されています。リトアニアの音楽と絵画の先駆者とされるチュルリョーニス。彼の描く絵の繊細で巧妙な色使いからチュルリョーニス自身の葛藤や希望が入り交じった感情が読み取ることができました。言語や世界を超えて訴えかけてきた彼自身の感情は私たちが向き合っている他者理解に繋がるのではないかと考えました。今回美術館を訪れたことであらたな視点を取り入れることができました。残りの数日も将来に繋がる新たな発見を探し続けようと思います。
(Multifaceted Perspective)
音楽家としても、画家としても芸術面で大きく活躍した、リトアニアの偉大な人物であるチュルリョーニスの作品が展示されている国立チュルリョーニス美術館を訪れ、学芸員の方からのご説明を受けて、ひときわ目を引いたのがこちらの、”顔”という作品です。人がこの作品を見る時、まず先にいつも暗闇の中の白い部分に目をやるので、何が描いてあるのか、何を伝えたいのかが分からないと言います。
しかし、その白い部分という観点から一度離れると、金髪の女の人が横たわっている様子が見えてくるのです。いつまでも特定の部分にこだわっていても求める何かは見えてこない。
これは私たちの学ぶ目的にも関係があります。自分の見えているものを、多角的な視野で捉えて、あらゆる方法で物事を模索すること。この絵によって、その大切さをより強く感じました。
(チュルリョーニスの考え方)
チュルリョーニスは1875年に現リトアニア南部で生まれたリトアニアの代表的な芸人です。作曲のかたわら画家として活発に活動しており、短い生涯の間、リトアニアの美しさや精神的文化を表現する作品数を多く残しました。その中でこの絵は7つの世界の層を表しています。中央の円が地球で炎と水、そして光を描いていて世界に重要な要素であることがわかります。また上の王冠のような建物が二つ見えますが、これは明るい方と影のようなもの二つあり、人間の表裏性を表しているのだと解釈しました。このようにチュルリョーニスの絵はいろいろな角度から考えたり解釈することができる点でとても面白いと思いました。
学習テーマ【1.ヴィータウタス?マグヌス大学 2.カウナス旧市街散策 3.杉原記念館】
スタディ?ツアー2日目はヴィータウタス?マグヌス大学でのツアー、カウナス旧市街ツアー、杉原千畝記念館訪問など、学びが盛り沢山の一日でした。
リトアニアでのスタディーツアー2日目では、ヴィータウタス?マグヌス大学で現地スタッフのアルヴィダスさんからリトアニアの歴史について講義を受けました。
リトアニアは1009年に初めて歴史上に名前が登場し、歴史が始まりました。1253年ミンダウガス国王によりリトアニアが王国の時代が始まりました。1385年にリトアニアはキリスト教を受け入れ、リトアニアの黄金時代が開始されます。その当時15世紀には地中海と黒海まで勢力が伸び、ヨーロッパで最も大きい国家へと成長しました。1569年にリトアニアはポーランドに併合されリトアニア=ポーランド王国となり、リトアニアの黄金時代の終わりを告げました。1795年リトアニアはロシア帝国に支配されました。1918年に自由を勝ち取るために独立を宣言しますが1940年にソビエト連合に支配されました。その後、ナチスに征服されもう一度ソ連に支配されましたがラトヴィア、エストニアを含むバルト3国が自由を獲得するために1990年に再び独立を宣言し自由を勝ち取りました。
リトアニアは3度も他国に占領されたため日本よりも平和への意識が高いことを知り、その影響からか、リトアニアの町中に自国の国旗だけでなくウクライナの国旗が多数見受けられ「平和」への意識を目の当たりにしました。
GLA学部1年生が、6月下旬から2週間の海外スタディツアーに渡航中。
リトアニアからのレポートをお送りします!
Lithuania DAY 1 2023/6/25
学習テーマ【1.ヘルシンキ国際空港 2.キビナイ 3.トラカイ城】
2023年6月24日(土)に日本を出発し、途中フィンランドで乗り換え、10時間以上かけてリトアニアに到着しました。スタディ?ツアー1日目はトラカイ城に行きました。
みんなで12時間もかけてやっとの思いでたどり着いた国がムーミ
リトアニアに到着して、
ビリニュス国際空港に到着後、首都?
Contributors: 松村結さん、本多春輝さん、五味佳那子さん